ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「自分」とは他人ではない「何か」

ロゴスの小径へようこそ。

 

いよいよ明後日、病院へ行くことになりました。

恐らく初診では検査まではできないはずで、

次回、ということになると思いますが

 

ついいろいろと考えてしまいますね。

 

もし、病気になった部分を、機械で補えたらどんなにいいだろう。

 

もちろん部分的に実用化はされているわけですが

もっともっともっともっと楽に、

入れ替え可能ならいいのになあ・・・と思うのは私だけではないと思います。

 

ところで、心と体は一つ、なんてフレーズが流行っていますが

 

人間はどこまで臓器を保てば自分のままでいられるのでしょうか。

 

痛みもなにもない「機械のからだ」が欲しいなあ、というと

そんなの絶対にいや!!!あり得ない!!という知人もいますが

その人にしても、虫歯を削って銀歯にしてたり(セラミックでも金歯でもいいのですがw)

しているわけです。

 

それは自分のもともとの体ではなく、

他の人から移植したわけでもなく

「機械」とは言えませんが、「モノ」ですよね。

 

ということは

自分の一部が「モノ」にかわっても

どうやら自分は自分のようです。

 

もちろん、

義足などに入れ替えても、その人はその人で

人格が変わるわけではありませんよね。当たり前です。

 

どこまで人工臓器があるのか無知な私は知りませんが

人工心臓の人もその人としか思えないし

人工のどの臓器を使っていてもその人はその人以外にありえないですよね。

 

銀歯にした虫歯も認めない、という厳しさを持たない限り・・・。

 

では脳は?

 

そうですよね、やはり脳を臓器移植で取り換えてしまったら

自分は自分のままではいられないような気がします。

むしろ体は、移植した脳の持ち主のものになりそうに思えます。

 

では機械の脳だったら?

 

攻殻機動隊」の世界になりますがw

 

全てのものは、小さな粒子の集まりですよね。

脳も、つまりは粒子の集まりの物質です。

もし、その粒子をモノで作れたら

脳も作れてしまうことになりますよねえ・・・・

 

では「わたし」というこれは、いったいどこにあるんでしょうか????

 

考えてみたら、そんな「モノ」は最初からないとしか思えません。

「自分」とは何か、ということの答えとしては

「他人ではない何か」としか言えないそうです。

 

まあ、それに「魂」とか名付けてもいいのかもしれませんね。

もともとモノではなかった、と。

 

でも、もしそうだとしたら

「心と体は一つです」

というのは、どこか温かみのある、魂という思想を大事にしているように見えて

 

実は、体がなくなれば心もなくなる、という思想ということですよねえ。

 

ともあれ

 

もし、もともと「私」と思っているこれが、モノではなかったとしたら。

(もし、というのは、いつか発見されないとも言いきれませんから。

この臓器が「わたし」です、みたいな何かが)

 

心と体は一つです、と言いきれないとしたら。

 

それはむしろ、死んだからって無くなるものではない、とも言えますよね。

最初からモノとして「無い」のだから、無くなりようもないわけで。

 

この、全ての世界を私は、「私」を通してしか体験できません。

 

自分の死後もこの世界があるかどうかは、

当然のように「ある」と思い込まされていますが、

実はそれを科学的に証明することもできていません。

 

なんと「世界」とは、不安定な状態で存在しているものなんでしょう。

 

そして

そんなことも知らずに

 

今あるこの世界を

こうだ、と教えられてきたこの世界を

見たままの世界を

 

そのまま疑うこともなく受け入れてきた自分。

どうりで生きにくかったわけです。

 

教えられてきたこの世界の在り方に

 

どこか違和感があって

どこか生きにくさを感じる方は

疑ってみてください。

 

「正しい」とされているものが実は

皆で「正しい」としようね、と決めたルールでしかないということに。

まあ、それはそれで守ることも大事なことでもあるのですが

 

でも、疑うことをしない限り

女子供より男がエライ、女は一歩下がれ、というようなルールも

まかり通ってしまうことになるわけで。

 

いかがでしたでしょうか。

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