ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

分を知る・老子

ロゴスの小径へようこそ。

よく、己を知れ、分を知れ、
なんて言い方しますが

これって、自分の限界を知って
それに見合った生き方をしろ、というような
ちょっと悲しい教えのような気がしていませんでしたか?

老子によれば、これは

自分の本分を知れ、ということだそうです。
つまり

いくら歌うのが好きでも
歌手になって後楽園をいっぱいにできるかどうかは
好きとか努力だけでない
その人の本分、実力が必要だということですが、

それが叶わない人には
他にその人の本分がある、ということになります。

よく戦国武将とか、歴史上の人物の本なんかを読むと
その感じ、わかりますよね。
勇ましい武将として名をあげようとしても
その人の本分はその細やかな気配りにあった、
経理力にあった、などなど。

好きなこと=本分
であれば、そう迷ったりしないで済むのかもしれませんが

そうではない場合があるということですね。

好きなこと、とはつまり
生まれてからいろいろな人や情報の影響で
「自分が好きだと思っていること」に他なりません。

自分が知らないことに対しては、
自分がそれを好きかどうかもわからないのですから。

その人のもつ本分とは、
その人の能力が持って生まれて高いというのが
大きく影響しますよね。

歌手の子供がやはり歌手になるのは
素晴らしい声帯を遺伝で引き継いでいるからだそうです。
もちろん子供時代から歌手になるためのいい環境にいた、
ということにもなるのでしょうかれど。

自分の本分は何かと言うことを知るには
やはりいろいろなことを体験し、学んで見聞を広げるしか
無いような気がします。

狭い選択肢の中から選んだ
自分が好きだと思えること。
更にその中から自分の能力にあったものを探し出す。

探し出せずに一生が終わってしまいそうですよね(^_^;)

反面
自分のまだ知らない
自分のすんごい能力がもしあったら。
それってすごいことですよね。

それを若いころに気づければ
それは素晴らしいことかもしれませんが

定年してから始めた仕事で
素晴らしい能力を発揮する人がいるように

あるいは私たちの人生も
あるとき転機を迎えるかもしれません。
転機、とは自分の本分に気づくときとも言えるのではないでしょうか。

例えば私は絵の制作を天職だと思っている。
好きだし。

でも
そこに固執すれば
もしかすると他の素晴らしい能力・・・

もしかしたらすごい経理の能力があるかも
とか
もしかしたらすごいフランス語の能力があるかも
とか
案外すごい登山家だったりして。

思いもしないことに自分の能力があったりするのを
見過ごさないとも限りません。

まあ、それでも自分の好き、を貫くのもまた一生ですが

老子によると

人が苦しみのはたいていは
己を知らないからだそうです。
自分を生かす道を知らない、ということですね。

例えば誰もがアイドル歌手にはなれません。
でも今の世の中は、誰もが
錦鯉のようになるのが素晴らしいことだという価値観を
持たさせているそうです。

本当は立派な素晴らしい黒い鯉の本分を持っているのに
錦鯉を目指してしまう。

だから苦しむのだそうです。

と、書きつつも私も
錦鯉であるべきという価値観で育っているので
完全に飲みこめていない気もするのですが

「分を知る」とは
そこそこに生きろ、という意味ではなく
自分の本分にあった道を生きろ、という意味
というのはなんだか忘れずにいたい、と思うような気がします。

いかがでしたでしょうか。

励みにしております。
応援クリック、よろしくお願いします(^_^)


人気ブログランキングへ