ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「無理しないで」という自己満足

ロゴスの小径へようこそ。

がんばっている友達に、無理しないでね、と声をかける。

けれどそれって、その人の代わりにその人の無理を背負ってあげるだけでもなく
(そういう人ももちろんいます。その場合は別ですが)
ある種無責任な言葉です。


その人のために何かしてあげたいというよりも

こんなにあなたを心配していますよ、というアピール、というと
怒っちゃう人もいますがw

まあ、相手にアピールしないまでも、
ある意味自己欺瞞ですよね。

他人を心配している自分

だから実際手伝わなくても寄付しなくても何もしなくてもいいや、というような。



しかし社会って案外これでまわっていますよ。


ご冥福をお祈りしますといっておいて
本当に祈っている人がどれだけいるのか。

でも言ってくれないと失礼な人!ということになりますから


無理しないでね、という言葉だけで満足な人もいるでしょうね。

社交辞令を言い合って、そこではじめてイーブン、みたいなw
なにやってんでしょうね、人間てwww



ところで、無理しないでほしいひとに
安易に無理しないでね、なんて言えない場合



ではどう声をかけたらいいのか

ですが


ストレートな答えがどこかの本からすぐに引き出せないので

私だったら、でお話しさせていただこうと思います。


皆さんも自分だったら、と考えてみてくださいね。

ちょっと定義してみます。


先ほども書いたように、

無理しないでね、と言うだけで満足な人もいますよね。
そういう言葉が欲しい人はけっこういるものです。
そういう人には言ってあげればいいと思いますよ。
言うだけタダです。



あとSNSなんかでは言葉が軽いので

がんばってね〜
無理しないでね〜

なんてよく言いあいますよね。
でもそれもそれでいいと思います。

そんなものだ、とわかりあってやっているという土壌が同じなので。



では本気で無理してほしくない場合。

これ、家族ではないでしょうか。

ダンナさんや親が無理して仕事をする。
無理しないでほしい。


そこで、「無理しないで」と言えばそれは暗に
あなたが休んだ分、私が働くから
も含まれますよね。

だって無理しないで仕事を休んで、と言うわけですから。
お金が入らないと生活できませんから
無理させない代償に、誰かが収入を得ないといけないわけです。

無理しないでね、ただし有休内でね、かもしれませんがwww

もちろん仕事に限らず
子供と遊ぶの無理しないでね、といえば
あなたが遊んでやることになるわけで


責任を担うことが前提されているので
家族間では、うわべだけの言葉とは言えないですね。



問題は友達、しかも社交辞令レベルではない友達に言うとき、ですね

私の場合、
相手を見ますね。


無理しないでね、と言えば満足なタイプの人にはそう言いますし
あと向こうも軽く 無理しないでね と
考えなしに言ってくるタイプの人には

同じように 無理しないでね、と軽く言ってしまいます。
楽で便利な言葉ですしね。


無理しないでね、と突き放すわけですから。
その無理は背負わないわけですから。



ではもっと大事なというか、
心の底から心配しているときはどうしたらいいのか。


もう、おわかりですね?(フネの声でお願いしますw)


無理しないでね、

ではなく

できることはない?


ですね。


無理しないでね、だと何も頼まれませんが

できることはない?だと
なにか頼まれるかもしれませんね。

うーん、それはいや。
だからそれは言いたくない


だとしたら

その「無理しないでね」は自己欺瞞ですね。

自分は何もしない、でも
心配だけしてるのよ、ということで

相手に自分をよく印象付け かつ

自分も罪悪感を持たずに済む。



繰り返しますが、そこまで深く考えている人は
少ないでしょうね。
だから無理しないでね、と軽く言いあっていればいいと思いますよ。


でもそうではない人には

できることはない?

と私は言いますし


よく気を付けていると、

できることはない?
とか

●●してあげようか?

とか言ってくれる人もいるんです。



大事にしたい友達って、そこが違うと私は思っています。


でも、その人ががんばっていることは自分は手伝えない


と思いますか?


その人ががんばっていること自体を手伝う必要はないですよ。

その人の無理を助けるために

例えば代わりに家事をやってあげるとか
時間を作ってあげるとか

おいしいスイーツやお花を送ってあげるとか
何時間でも愚痴を聞いてあげるとか


なんでもできることはあるものです。


何もしない、でも

言葉だけしかあげたくない


と思うのなら


それは、その人は自分にとってその程度の人と言えるのかもしれませんよね。


無理しないでね


と言いそうになるときは


ちょっと立ち止まってみてください。


もちろん軽い社交辞令はお互いさまだし
挨拶みたいな言葉でもありますので
それはそれでいいと思うのですが


無理しないでね、と言って「あげたい」



と思うようなとき


何かできることない?と


自分が言えるのかどうか。


自分の本当の姿を知ることができる機会になりそうですよね。



二年前の記事
言葉を大切にする、とは
に対してご質問いただいたので解答させていただくのも兼ねて記事にしました。





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